言葉では泳げない距離と人の間を泳ぐ言葉
夜が知らないうちに朝を連れてくる。
日々の空想は人の隙間に入り込み
また、人の隙間を生み出してしまう。
何も考えなくても良い世界があれば
それは素敵だろうか。
何か考えているうちは
私は確かに人間だろうか。
人は日々に目的意識を持ち
それに向かって何やら努力や試行錯誤
失敗や成功をそれぞれ受け取ったあとで
またその目的へと向かってゆく。
その『行動している感』に生き甲斐や
達成感を得ながら
何もしていない側の人間を見ながら
『あいつらは何も行動しない』
だとか
『指示待ち人間』などと揶揄するのだ。
よくある光景。
事実、何もしていないのだから
どれだけ崇高なことを考えていようが
機を狙っていても
何もしていないと言われても同じことである。
行動に起因する失敗があることも確かにそうだが、失敗にも意味がある派や当たって砕けろ派の介入によって
いつの間にか何もしていない側は
悪として捉えられてしまう。
それは実はとても怖いこと。
人間は追い詰められた時に能力を発揮できる者だけではないのだから、追い詰められて何も出来なくなってしまっては意味がない。
ましてや、タイミングを間違えればそれはもう行き詰まり。
何もかも終わってしまう。
君を待つ、という曲があって
その曲は、ただただ君という存在を待っている、という曲。
様々な意味を込めてはいるが、深居優治の曲は基本的にスルメ曲であり、かつ
本意に辿り着ける人は少ない、と思う。
難解にしているのは私の生き方がそもそも難解だからなのであろうか。わからん。
その辺はわからん。
ただ、意味を汲み取って、すり合わせた時に、あぁそういう意味だったのね、とか
わかるーってなってもらえると嬉しいし、わかるーってなられるとすこしムカつく時もある。
まぁ、人による。としか。
君を待つ
知らないところで目が覚めて
この容れ物を自分と呼んで
知らないところへ消えてゆく
どこにも私なんて居ないのかもしれない。
それでも君を待つ。
そう、それでも君を待つのである。
自分が何者なのかもわからない、どこから来てどこへ消えてゆくのかという人類の永遠の問い掛けを繰り返しながら、それでも君を待っている。
何もせずただただ待っている。
これだけ聞いたらほんと
何もせず待つことしかできないのかー!ってなりそうなものだけれど
そうではなくて
その次の歌詞
君を待っていた。
君を待つその間
僕は僕として暮らしていた、息をしていた。
そう、待つってことに何の労力もかけない人なんてほとんど居ないんじゃないかなって思ったのです。
だって、ただ何もせずに待つってなかなか心労、心が参ってしまう。
じゃあ行動しろよって?
いやいや、大人しく待つところに愛があったりもするのよ。ほんとに。
待つってことにはそれなりに責任があると思っていて、
まず、待ち続ける間その人はその人で居続けないといけないわけで
変わってしまうのならば無責任に待つなんて言えないわけで
ましてや死なないわけで
待つってとても大変。
気持ちも変わるかもしれないし?
明日には消えてしまうかもしれないのに?
待つのよ。
素直にそこに座って待ってるの、あなたの椅子を守りながら。
そう考えたらなんだか待つって行為にもちゃんと意味があるんだよって言ってあげたくなる。
でもね、待つばっかりで何もかも失くしてしまうこともあるよねってのが
その続きの歌詞
でも、でも
気付くのはいつも、いつも
失くした後で壊した後で
どうして忘れた後でしか思い出せないの?
思い出せないの?
思い出せないの、思い出せないの、思い出せないよ、もう。
そうやってどんな風に待ってたのか、どんな風に愛していたのか、どんな風な自分だったのか、わからなくなるくらい待ってるのはもう、苦しみよね。
私はあなたを待っていたはずなのに。
知らない間に失くして
知らない間に壊して
知らない間に忘れて
忘れてたことに気付いてしまうのは嫌なので
もし誰かを待たせているならそっと連絡くらいしてあげなさい。
腐る前に終わらせなければならないことは口に出しなさい。
ね、
今日はそんな話
そんな私
人に助けられて生きてる
打ち上げが終わって、カルピスしか飲んでないのにやっぱりまだ身体は元気じゃなくて、吐きそう、ってか吐いた
明日は朝一で熊本に向かうよ。
今年最後のライブだ
ねぇ。
わたし、あなたと話がしたい。
あなたの言葉で、あなたの話が聞きたいのよ。
いつまでも待つよ。