回帰と喪失と獲得
私達はどこから
何のために来て
どこへ行くのか
そんな哲学がありますね。
人間の根本にある
どこから来たのか
何のために来たのか
どこへ行くのか
という三つの問い。
それらがわからないうちは、生の真っ只中に居るということなのではないかなと思うのです。
正解も間違えも本当は分からないはず。
最後に振り返った時にそれらがわかる。
答案を提出したあとでないと、答え合わせができないようにね。
そんな考え方と似たものを持っている人、似通った感性を纏う人、そんな人達と出会うことは嬉しい。
そしてその感性が育まれた環境を思うと、そんな誰かをたまらなく愛しく思う。生きていてくれてありがとうございます。
そして、私達はどこへ還ってゆくのか。
生物は海から生じたのか、夢から生じたのか、何もないところからある日生まれたのか、はたまた神が造ったのか。
わからないまま、わからないまま、私達は深く長い洞窟へと潜ってゆく。
出来る限り深く潜らなければいけないから、手に持てるだけの荷物を持っていく。
それらを少しずつ失ってゆく。
長旅にはそういうリスクがある。
遠くへ行くためには荷物も自ずと増え、それらを綺麗さっぱり失ってしまう。
引き返す時のことを考えて、計算して、また戻ってゆく。
行きと帰りと、その道中で何かを拾う。
私にとっては価値のあるものでも、誰かにとってはゴミ屑のようなものかもしれないし、逆もまた然り。
私は最終的にそれらを持ち帰って、何をしようというのか。
全て消えて無くなるというのに。
失ったものの数ばかり数えすぎて、拾ったものが何なのかさえわからないなんて嫌よ。私は今を生きていて、未来にしか行けないのだから、いつかこの過去が青い炎に包まれて星座になる日を待っている。
愛しさと、興味、好奇心についての話。
知りたいと願うのは愛しさの付属品。
あなたが愛した誰かのことを、あなたは知ろうとするでしょう。
けれど、知れば知るほど嫌なものも見えてくるものです。
また、愛故に全てを知る権利なんてものは無いのです。
知らなくて良いこと、知らない方が良いこと、知ってはいけないこと、それらを見誤らないように。
あなたはあなたの管理をしているが、他人もまた、個人の管理をしているのだ。
雨がどこまでも続いてゆきます。
あなたの口癖を思い出す。
思い出せなくなるその日まで、思い出し続ける。