アオノコキュウキ

言葉を綴ります。あしからず。

青い孤独の内側から見える景色

 

やぁ。

深居優治っていう生き物の話でもしようか。

彼は如何にうまく生きようとしてもうまく生きることが出来ず、人の話も聞かず、殻に、檻に、傘に籠ることでしか自分の姿形を認識する術を知らず、それでいて自分が居ないと狼狽するような、謂わば少しかわいそうな生き物なのかもしれない。

けれど本人にかわいそうだと言ってはいけないよ。かわいそうだと思われたくないんだそうだ。

 

毎日毎日違った苦悩を頭に浮かべ、それなのにそれらはよく見れば同じ質感の物事ばかり。

繰り返し繰り返す日々の曖昧な境界線を明確にする為に、彼は言葉を歌を思いを紡がなければならなかった。いや、紡ぐ必要は無いのだろうけれど。

必要性や意味合いを求め過ぎると息が詰まるね。だって、あなたが産まれた意味やここに居て良い理由なんて、そんなものがあったら素敵だとは思うけれど、未だに見つけるには至らない。

瞬間的なそれらを見つけては安堵し、喪失し、また涙を流す日々。

涙は海だと誰かが言った。

けれど私はあの子の手のひらで作られる海を何度も思い返す。手の届かない海。

あぁ、忘れるから言葉にしてみたい。

あなたは美しかった。

 

 

 

閑話休題

深居優治という生き物は

決して賢い生き物では無いのだ。

元来より持ち合わせた本能に後天的な知識を無理矢理組み合わせたような細胞群が、彼を構成していると言っても過言では無い。

つまりは経験則。

学習や経験、見たこと聞いたこと感じたこと。知れば知るほどにインプットされてゆくそれらを、彼は彼なりの少ない容量の中で組み換えてゆく。

それはとある宗教の中である煩悩にも近いものなのかも知れない。ただ、108つでは収まりがつかない為にそれらを私は青い孤独とでも呼びましょう。

青い孤独。

夜明け前の、または夕闇に落ちる少し前の青い世界。何者にも染められる心を持った私達は、その中で美しさと醜さを知るだろう。

悲しみも苦しみも孤独も、一所に集めてしまえばそれらは『青』に、それに準ずる色に収まるのでは無いか。

死の青い蛍光。

生き物の細胞は死の瞬間に青白く発光することが研究として発表されている。

人間も、そのほかの生き物も、本質的に青を抱えているのかも知れない。

さぁ、それが真っ赤な嘘では無いことを願う。

 

 

 

青い孤独。

その孤独は痛みを、揺らぎを、虚無を孕んでいる。

私がまるでここには居ないような、どこから来てどこへ行くのか、それがなんの為なのか。

青い孤独は幾重にも重なって私を囲む壁になった。

でも、あの時のようにそれらを突き破って私の世界に降る雨を探している。

私は私であって、私では無い。

私にインプットされた誰かの言葉や思惑、感覚に至るまでが誰かの模倣。

私の中には私以外の誰かが住んでいる。

ねぇ、君は誰なんだい。

いつからそこに居たんだい。

私は私であって私ではない。

だって中にたくさん居るんだもの。

さぁさぁ物事には恐怖が付いて回る。

人は名前の無いものが怖いんだそうだ。

誰かのせいにしないと、誰かの為だとしないと、怖いんだそうだ。

それならばこの容れ物に名前を付けよう。

深居優治なんていうのはどうだろう。

ねぇ、アオくん。

 

私はまた鏡と対面したままその名前を呼んでいた。