アオノコキュウキ

言葉を綴ります。あしからず。

箱の中の猫が生きているか死んでいるか

 

そして私が生きているか死んでいるか

生きているという状態が続いているのか

死んでいるという状態が続いているのか

人が感じ得る感覚のそれぞれは、不明瞭である。

誰かが寒いと感じる日に、暑いと感じる誰かが居るかもしれない。

私が見た青い空は、あなたにとって何色ですか。同じ青さでは無い事くらいわかっているはずなのにね。私達はまた間違える。

 

言葉が、言葉のまま、誰かの意図から逸脱して存在していればよかった。

痛みや苦しみだけが誠実な存在なのかもしれない。

全ての感覚は思い込み。

私達はそう思い込みたい、思い込まないと怖くて仕方がない。

目の前に落ちているペットボトルと、死体の明確な違いなんて本当は説明できないの。

私達はそれをペットボトルだと思い込みたいだけなのかもしれない。

血の通わない透明な、こんな感じの形で質感で、それらをペットボトルと名付けたかった。

私は、私に限らず全ての有機物は、日々物質の入れ替わりを続けている。

私が私であるということはどういうことか。

私であったはずの細胞は綺麗さっぱり老廃物となって、私から離れていくのに、後から入ってきたそれらを、私は私だと思い込みたい。思い込まないとやっていられない。

さぁ、鏡に映ったキミハダレ。

 

 

 

 

 

 

私という容れ物の中でもがいているのがなんだって構わない。

それを死んでいると言われても仕方ない。

ただ、生きていると思い込んでいたい。

大切なものがそこにあると信じ込んでいたい。

あなたがそこに居てくれることを、疑わないでいたい。

目を閉じて意識が遠のく瞬間、また朝が来ると思うことができれば幸せなのかもね。

ねぇ、

 

あなたは生きている?死んでいる?

にゃー