アオノコキュウキ

言葉を綴ります。あしからず。

私は空っぽを知っている

 

 

六畳ワンルーム

友達から貰った茶色の机の上に

昨日飲みかけたペットボトルに入った水

なんとなく今日飲むのは嫌なので

シンクに捨ててしまう

アレはそのまま、どこか遠くへ流れて

いつか海の一部になるのか

それが雨になって、降り注いで

或いは誰かの世界に紛れ込んで

世界を循環する

水の記憶

 

その後でペットボトル

空っぽのペットボトル

容れ物の中は空っぽ

空っぽ??

じゃあ風船の中身は空っぽ?

同じものが入っているのに

空っぽは形を変えないまま意味を変える

 

空のペットボトルの中身が『空っぽ』ならば

この部屋には『空っぽ』が

満ちているということになる

私の吸い込んだものも『空っぽ』

吐き出したものも『空っぽ』

 

私は空っぽを知っているはずなのに

その実、なんにもわからないまま

ただ、それを定義付けようとする

わからないということは

恐ろしいのでね

 

 

 

 

 

 

ペットボトルの空っぽと

空間との境界線があるとして

それがちょうど飲み口の部分で分かれているとして

私は咄嗟にその口の部分を塞いでしまいたくなる

空っぽが逃げ出さないように

空っぽがこの部屋に溢れ出てしまわないように

気付いた瞬間に

私は空っぽそのものになってしまった

あの、シンクに流れていった水になれたら

この空っぽに名前をつけることも

この空っぽに誰かを招き入れることも

無かったのかな

などと考える

過去の残光

もうあの部屋には戻れないや

7階角部屋703号室

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春が一瞬で夏のような気候に

お花見をすることもなく

季節に押し流されてしまうね

人間は19歳で

体感的に感じる一生のうちの半分を経験するのだという

つまり

昔よりも一年が早いなぁ

というアレ

あれは脳科学的に立証されていて

人生を80年だかと考えると

19歳で半分を終えているらしい

そこからの体感時間は

どんどん早くなる

早くなって早くなって

早くなった分その日々が

安っぽいものに成り下がってしまわないことを願う

出会う人の価値が変わってしまわないことを願う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

活動休止をして一ヶ月

変わったことと、変わらないこと

整理した幾つかのこと

これから先のこと

私はまだまだ

わたしを組み替えていかなければ

 

 

 

日々に囚われてしまった後で

それでも私が探しているのは

結局なんだろうね

 

 

 

 

nan da row ne

 

僕は自分に失望する

思いがけず、良いことがあったり

無くしてしまったものが見つかったり

昔好きだった曲を思い出したら

そういうものは、日々の軽薄さから逃れる為に脳が用意した逃げ道のような気がする。

本当は全部わかっているくせに、極大解釈、曲解、居心地の良い水槽を自ら作り出してそこに身を落とす。

底に着く頃には本質は表層で凝り固まって、まるで、染みのようになる。

 

また、世界は私にだけ優しくて、その実残酷なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

音楽

というものの中に存在意義を

日々の軽薄さから逃れる為の意味を

見出してしまっていた僕は

結局それを剥ぎ取ってしまった時

初めて本質に触れる。

何一つ満足に出来ず、満たすことも満たされることも出来ない生き物の命が一つ

僕はそれに触れた瞬間に解る

不完全さや醜さや歪さ

それらに無理やり役割を与えていたに過ぎない

愛されるはずのない世界に戻ってきてしまって

今はただ日々を空費する。

 

 

日々の中に、24時間の中に、一週間の中に、自分を許せる瞬間があること

趣味、特技、家族、恋人、友人、その他幾つかの安らぎや、居場所

それらが日々の軽薄さを霞ませる

日々とは生活とは人生とは、本当はもっと苦悩や後悔に満ちている

けれど、『生き甲斐』や『安心感』を与えてくれる他の存在が、人間を延命させる、盲目にする

 

今の私の生活には労働と自己しかない

自分を許せる余白が、無い。

嫌でも実感させられる

無作為に、いや、むしろ作為的に

突き付けられる

自分の価値

これから先ずっと

崖しかない平坦な日常を歩くことでしか

私は生を全う出来ない。

 

絶望は命の危機を感じるような事柄や

心を削り取られるような痛みや苦しみから来るのではなく

ただぼんやりとした不安

あてもなく歩くことしか出来ないという事実

『空っぽ』の中にこそ潜んでいる

 

私はこれから先一体いつまで

この空っぽをやり過ごさなければならないのか

一体いつまで。

 

 

いつまで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気が狂うほどの同じ日々の繰り返しにkanpai

0

 

 

0という数字は最初

無かったらしい

インドの数学者が見つけたのだとかなんとか

 

けれど、仏教の世界には

ゼロという概念があったらしい

 

空っぽ

として存在していたその概念は

何も無い

ということではなく

『無いということが在る』という

概念だったそうな

 

 

僕らはいつでもその

『無いということが在る』というものを内包したまま、呼吸をしているように思う。

 

 

 

 

 

 

死は生の対極にあるのではなく

その一部として存在している

 

 

ノルウェイの森という小説が好きなのだけれど、その中に出てくる言葉

 

どこまでもシステムの中に含まれたそれらから、目を背けることは出来ず

やはりいつの間にかその一部として私たちも生き、そして死んでゆく。

 

まずは少しずつ整理をつけなければ、ね。

 

 

 

 

 

 

2021.3.20

広島ヲルガン座にて

深居優治は活動休止しました。

理由は様々

時間とお金と心と人間関係と

沢山の物事をきちんと整理して

何もかも嫌にならない為に、活動休止します。

けれど、ほら、活動休止なんてしたことないし、自分がまさかするとは思ってなかったから

初体験なのでね

もしかしたらそのまま、やめてしまうかもしれない。

戻れなくなるかもしれない。

歌いたくなくなるかもしれない。

 

そんなものはいつだって内包されているし、隣に座って私の方をじっと見ている。

 

『お前は音楽に縋りすぎている』

 

 

 

 

 

 

最後のライブ

弦を沢山切って

それでもたくさんやりたい曲があったから何度も張り替えてやり遂げた。

けれど、最後の最後にこんなライブをしていたら、いや、こんなライブをしてしまうから、活動休止するとこまで自分で自分を追い詰めてしまったのかなぁとかも思う。

自業自得です。

身から出た錆。

 

 

 

 

 

 

 

 

けれど、本当にね

私はずっと逃げたかったのかもしれないと思った。

様々なものから逃げて

自分を守る壁を作らなければ、傘を差さなければ、海に潜らなければ

自分が壊れてしまうかもしれないと思ったのかもしれない。

そう簡単には壊れやしないんだけれどね。

 

 

 

 

 

思えば長かった10年間

大学で音楽を始めて、下手くそも下手くそで、ギターも歌も素人

サークルでは下から数えた方が早いくらいの実力

その頃の先輩や友達や音楽関係の人たちからは

『こんなに長く続けるとは思わなかった。もっと早く消えると思った。』

 

と、たまに言われるが、それくらい才能もなくゴミみたいなアーティストだった。

いや、今もゴミなのは変わらないけれど。

 

 

弾き語りとバンドを並行してやっていた時代

バンドがなくなり弾き語りでどうすればもっと愛されるか考えて

わからないなりに動いて考えて

東京の事務所に所属して、シェルターで企画させてもらったり、サイクロンでワンマンさせてもらったり

 

それらが終わってからも全国をぐるぐるしながら、どうすれば良いか、どうすれば良いかとずっと繰り返す

 

東京、福岡、広島、熊本でワンマンやらせてもらったなー

懐かしさすらある

こうして過去を回想したり

懐古するようになったらもう、大人なのだろうか

いや、いつになったら人間になれるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

基本的に人格が破綻していると思っているので、誰かとずっと繋がる縁ってとのが繋げない

私の人生は喪失の記録

他人が離れてゆく物語であったように思う

まだ途中ではあるのだけれどね。

わからないじゃあないですか

明日死ぬかもしれないのに

 

絶対帰ってくるなんて無責任なことを言えないし、言わせない

他人には私の何もかもを定義付ける権利はない

 

もっとちゃんと私を見て欲しいのに

 

 

 

 

 

 

ツイッター

yuji_qualia0のアカウントは消しはしないだろうけど、更新しなくします。

あと少しだけエゴサして

ラストライブの反応を見てから

そっと閉じます。

今までありがとう

もう二度と会うこともない他人が居るとして

何か言葉を残す必要もないのだけれど

ただ、こんな私も誰かの物語の中に入れてくれてありがとう

という気持ち。

 

いざ言葉にしようとすると、あんまり何が言いたいのかわからないね。

 

わからないや。

 

 

2021.3.20

深居優治活動休止前企画広島編

【セットリスト】

空想離脱症

君を待つ

水槽の脳

青い孤独

君という雨

溺れるように

染まる温度

アパテイアの深海

無機質な部屋

世界が水浸しになった夜に

翅色の白昼夢

たまごのきみ

ノア

最後の船

世界が水浸しになった朝に

ティポタフォビア

レクシア

あなたは雨を忘れる

アオ

水の記憶

 


【アンコール】

相対温度

 

重心

生きていると平衡感覚が問われる

今どこを向いているのか

どこに力を加えるべきなのか

進むのは右足からなのか

それとも左足からなのか

最初のうちは良いのだけれど

次第に慣れたり、波風を立てられたり

平気で落っこちたり

だからそう

急に、それこそ

夜の海に落ちたみたいな気持ちになることがある。

今向いているのが

上なのか、下なのか

右なのか、左なのか

そもそもそんな概念はいつからあったのか

 

 

 

 

 

 

最近、最初に考案した人すごいなって思うことが多い

なんでそうなったのかはわからないのだけれど

 

例えば時間

1日という単位はギリわかる

朝日とか夕暮れとか、目印になるものがあるからわかる

一区切りだなってアレ

 

けど、1時間とか

1分とか

特に1秒

どこから出てきたお前

何を基準に1秒という単位が出てきて

それを1秒って区分にしたんだろう

最初に考案した人やばい

 

 

 

そういう感じで

電子レンジ最初に考案した人すげぇなぁとか

数字で

0を最初に作ろうとした人すごいなぁとか

そういう、日々の中にある様々なものには生じる前と後があって

だから私達の生活の中に、日々の中に、始まりと終わりとその他複数の感覚が染み付いていて

それにそっと目を向けると

そこには人間の、或いはそれ以外の生き物のこれまでの営みが見え隠れする

私は不意に

とても小さな存在であるということに気付く

 

お前こそ誰だよって

誰かに言われてしまったような気持ち

 

 

 

 

 

 

平衡感覚

 

重心はいつもどこにあるだろう

 

それは物質的でもあり、感覚的でもあり

もちろん精神的でもある

何に重きを置くか、だ

 

 

ライブによく来てくれる人たち

日々の話をすることはあまりないのだけれど

中には話をしてくれる人がいる

普段は抑圧された生活をしていたり

病院に通っていたら

部屋から出られなかったり

けれど、その先にライブがあるから生きていられる

 

そう言ってくれた人たち

嬉しいとは別の感情が

嬉しいにくっついて私の中でぐるぐる回っている

 

私の音楽が救いや、感覚を麻痺させる役目や、繋ぎならば

それで救われた人たちは

果たして本当に救われたのだろうか

 

ライブに来なくなった人たち

消えてしまったのか

それとも、飽いたのか

それとも、私の音楽が必要なくなるくらい、日々が充実し始めたのか

 

遂にはわからない

 

 

重心

ライブに行くことに対して

心の重心を向けている人は

決してそうではない人間たちと分かり合えないことがある

家族というものに重心があり、互いに求め合うように円満な回転を生む人たちは

その末端にある、家族というものが重心に無い人たちを、ひたすらに振り回してしまっていることもある

 

仕事だけが生活の重心にある人に

明日から働かなくても良い

働かなくてもお金はあげる

生活は保証される、と伝えたとして

その人が発狂しない保証は??

 

恋人にだけ心の重心を向けていた人が

それを失った時

一体彼は、どこに落ちてしまうというのでしょうか。

 

 

私たちはいつも、どこかに向かって寄り掛かっていて、いつでもその方向に、或いは別の方向に、落ちたり、引っ張られたりしてしまうのです。

 

誰かと同じ重心で、言葉を交わせること、心を触れ合わせられること、知らない記憶を渡し合うこと、それはもう、幸せの類ではないかしら。

久しく無いですね。

 

私はどこに落ちてゆく?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひゅーすとん

 

 

 

これまで、音楽に重心を置いていたような気持ちでずっと生きていましたが

きっとそれは勘違いで

音楽はその、核となるものに寄り添っていてくれたのだと思いました。

何故なら私の音楽にはいつでも、私以外の生き物の匂いが、温度が、確かに在ったのです。

 

 

故にその音楽が、私から少しだけ離れてしまうことだって十二分に考えられるはずだったのに、人間とは愚かで浅ましくて傲慢ですね。

自分のことすら何一つ分かっていないくせに、他人を分かろうとしたり、分かった気になったり、管理しようとしたり。

 

 

 

 

重心

 

私の重心は私にはわからない場所で、けれど、私にしかわからない速度で、私を振り回していきます。

そして、いつかその遠心の果てに

誰かと出会った時に

誰かがほんの少しでもそれに気付いてくれたならいいな。

私はもう居ないかも知らないけれど。

 

 

 

 

 

 

明日は福岡での最後のライブです。

 

東京大阪と活動休止前企画を経て

私は何者かになれないことがわかって

それでも、何者かになりたいと願い追い求める姿にこそ、私は私を隠しているのではないかとさえ思うのです。

どうか、どうか、私という存在が、誰かの重心に触れていないとしても、その回転の中の一つの柄として色としてあなたを作る一つとして呼吸していられたら良いのに、ね。

 

 

 

 

 

ひゅーすとん

 

 

べちゃ

『ヒュプノスの子供たち』 バコト

六月

『ゆめみたい』って吐きかけた後で

その言葉の意味を反芻する。

僕らはいつでも間違えて

僕らはいつでも正しくて

僕らはいつでも誰かの中で

僕らはいつでも僕らではなくなってしまう。

『ゆめみたいね』って君が言う

僕はもう、それがなにを指し示すのか

知る由も無いのだ。

 

 

 

 


七月

雨を集めていた筈の日々は

私の中で少しずつかたちを変えて

かたちの中に私を探すようになった

かたちはもうどこにもないのに

雨が雨でなくなったあと

私たちのことを悪く言う全てが混ざり合って

誰かの名前の中で永遠に踊り続けていた

限りある海を知ったあとで

深海に降る雨の話を聞いた

私はゆっくりと浮遊して

青い太陽が全てを染め上げるのを

じっと眺めていた。

 

 

 

 


八月

落下する顛末

叱咤する週末

羽音に苛まれる日々は憂鬱

憂と優しさを履き違えて

僕はまた裸になってしまった

無能には見えない私の表皮は

御伽噺の中でこそ真実となる

夏が一頻り命を食べたあとで

僕らはゆめを食べていたのか

ゆめに食べられていたのか

まだ成長を続ける太陽の最中

僕らは蛍光灯に命を預けることになった

僕らのよく知る太陽は、もう、死んだらしい。

 

 

 


九月

夜が落ちてくる

私は空に落ちてしまう

眠るのが恐ろしい

あいつが迎えに来る

度重なる逃避のせいで

ここがいつもの教室に成り代わる

チープな眼鏡ケースを破り捨てた

泡を吹いて倒れる人物

私の記憶の外にある風景

仲間を探す為の音階

敵を見つけ出す為のソナーになって

私は青い部屋で一生を終える

外に出てもゴミの中

中に居てもゴミの外

あいつは最近では特に、よく笑うようになった。

 

 

 

 

 


十月

冷たい雨のパレード

ひとりごとで会話する季節

これで何度目かの空想

黒板に書いた誰かの思想

ゆめの代わりを強要される正方形

僕らは箱になってしまった

箱の中に何を隠そうとしても

雨が染み込んで腐らせてしまう

ならばいっそ空にしてしまおう

旧校舎の裏に埋めておいた人形

終わりが来るって知ってた?

終わりが救いだって思ってた?

有り余る幸せは毒になって

本来あるべき姿に迎合する

あなたの中で死ねたらよかったのに

朝の光の中で人になってしまった。

 

 

 

 

 


十一月

見知らぬ街灯が辺りを染める

君を知らない季節が大嘘を吐く

言葉の羅列で君は傷だらけになって

言葉の礫を窓から無作為に投げていた

四階の男子トイレには秩序が無い

その代わり、もう一人の君が在る

坂道を降る間のブレーキの余韻

世界の真ん中は四角い空の下

110円のカフェオレを買ったら

あの子が五階から見下ろしていた

君の代わりに私を救ったあの子は

結局ただのかたちだったのかもしれない

私は何にも救えない

私は何にも忘れない

私は何にも憶えてない

君の足の骨は誰が折ったの?

 

 

 

 

 

 


十二月

言葉は容れ物だった

私の言葉は隙間が無い

誰も入れない

お願い、私を無視しないで

あなたの言葉は隙間だらけ

誰もが素通りする

程度の低い音楽を聴いて

それでも流れる涙は溶けた脳味噌か

太陽に嫌われてしまったあなたは

私よりも上等な生き物を食べて

あなたの容れ物中に私の

居場所が用意されていたことに気付いたのは

もうとっくに言葉が酸化したあとだった。

お願い、私を悪く言わないで

君が君を守る為に吐いた嘘で

私はあまりに多くを失った

月に誰が花束を渡したの?

 

 

 

 

 

 

 


十三月

船に乗った

ひとり乗り用の船に乗った

波のない、穏やかな水面

僕しか映らない筈の世界に

僕だけが空白だった

君の知らない歌を歌って

君の知らない世界で旋回

容れ物に入れられた幾つもの物事

かたちの中で、みんな仲良く死んでゆく

還ることは許されない

この悪夢の中で正義に縋るのは

あなたに許して欲しかったから

あなたに愛して欲しかったから

僕は新しい容れ物を探す

次は、優しくない容れ物がいいな。

次は、何にも知らない容れ物がいいな。

 

 

 

 

 

 

 

一月

手のひらに嫌いな人間の名前を書く

三度目で握り潰して代わりに生きる

僕の誠実さは言葉にしないこと

言葉があるからいけない

言葉があるから間違える

何もかも消えてしまえば良い

消してしまえば良い

太陽のように笑うあなたが

空知らぬ雨を降らさないように

僕は太陽にも傘にもなれないから

せめて、消しゴムでありたい。

 

 

 

 

 

 


二月

大きな鐘を買った

どこに行くにも引きずって歩くんだ

みんな笑っていた

太陽も笑ってた

だから口を塞ぐことにした

鐘の音だけが聞こえるように。

さっきから嫌な音がする

まだ塞ぎ切れていない穴があったか

僕は大きな大きな心で

それらを抱き締めてあげなければならない。

ゆめに見た風景に閉じ込める為に。

 

 

 

 

 

 


三月

花言葉を調べるようになってから

あなたのことを忘れるようになった

物事は何かに入れられたあと

緩やかに風化するのだという

放射状に広がる花の名前を調べたら

無限の苦しみという言葉が付随していた

限り無いとはなんだろう

限り有るとはなんだろう

僕はまた一つ知って

また一つ失って

総量が変わらないなんて

どこかおかしいなぁと思っていた

だから、総量を変えることにした。

僕の好きな花だけ植えた花壇を作ればいい。

君が泣いている気がした。

 

 

 

 


四月

安い孤独を自販機で買った

安い味がして

未だにやめられない

 

 

 

 

 

 


五月

夜中、眠れなくて海を目指した

そういえば行き方を知らなかった

とりあえず歩く

海が無くなっていた

そういえば半年も前から雨が止まない

みんな傘を差すことすら諦めてしまった

海だった場所はもう見えない

僕らはいつの間に空気のない場所で

誰が誰だか分からなくなってしまっていた

あの三人を質問責めにした後で

僕は何を得たのだろう。

何が欲しかったのだろう。

それを、誰に伝えたかったのだろう。

 

 

 

 

 

 


六月

周回を間違えた

誰も居ない季節を生きてしまった

どこで何を間違えた

異物を吐き出す流動

かたちの中で終わるかたち

僕はもう、誰でもない

私に聞かないで

あなたに話さないで

君が作ったんでしょう?

もう同じ季節を生きられないのに

なんだか、最初からひとつだったみたいね

雨なのか海なのかゆめなのか日々なのか

ずっと同じゆめの中に居たような気がする

ねぇ、あなた名前はなんて言うの

悪い夢でも見えるみたいに

人めいたあいつは

私の顔をしていた

私は、あいつが羨ましかった

いってらっしゃい

おやすみなさい

さよなら

0

六月の雨

僕らは際限なく言葉を浪費して

その連続で言葉は手垢塗れ、思惑塗れ

誰の為に生まれてどこへ消えていくか定まっていたはずの存在が、いつの間にか無限の生を与えられ、いつの日かただの空っぽな容れ物に変わってしまった。

不老不死、実態は無い。

私が言ったありがとうもごめんねも、もうそこには無くて、誰かが勝手に当てがった誰かの思想の中でのみ泳いでいる。

ねぇ、私が言いたかった、伝えたかったことはもう二度とあなたには伝わらない。二度と私の元にも戻って来ない。

永久に死なず、永久に消えず、無意味な記号としてそこに漂っている。

そんな風にして生み出された命を、私はまた小さな箱に入れて蓋をする。

さも、その箱の中にはとんでもないものが入っているかのような素振りで、箱の中には観測しない間だけ宇宙が存在しているとでも言うかのように、シュレディンガーの心

あなたが見えないことをいいことに

私は私の心を偽るのです。

偽りさえも本物だと思い知るのです。

そして私だけが過去になる。

あなたはもう、今を生きて

今日が終わる瞬間にはまた蓄積される。

私だけがあなたのことを知らないまま

あなたの顔さえ思い出せなくなるのであります

 

 

誰だ、そんな風に世界を作ったのは

誰だ、そんな風に私を作ったのは

誰だ、そんな世界を壊さないのは

誰だ、こんな私を壊さないのは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は私を貶める

私を卑下する他人を許しはしない

けれどもね、全てのそれらに対して

心を費やすことがあまりにも無駄

むだむだむだ

だから放っておいて差し上げる

誰も彼もあなたも君も

私には追いつけない

飄々と暮らす日々の中

ピエロはお前と同じ顔をするだけだ

森に放し飼いの空想も孤独も

本当は森になんてなれやしないのに

森を模倣することに躍起になるのだ

君は君だという言葉があまりにも苦しい

君は誰にもなれない

君は君でしかない

分相応を弁えよ

君になりたかったよ、でも今は

君の世界の住人で居たい

私が確かに私であるということが証明された時

私が手渡すものはなんだろう

性懲りもなくまた言葉を吐く

そこに音階を与える

譜面に書き起こすことはしないまでも

脳内の楽器隊がそれらを追想する

本当は飽きているのか

本当は生きているのか

本当は死んでみたいのか

本当は死んでいるのか

本当は本当って言葉の概要しか外殻しか知らないんじゃないのか

知らないって言葉の本意すら知らないんじゃないのか

わかっていることが何を指し示すのか

あなたにはわかっているフリしか出来ない

さよならさよならさよなら

さよならを10回手に書いて飲み込もう

これでもう安心、あんしん、anshin

 

 

 

 

 

 

お金は良いです

心の匙加減で価値が変動することはないから

物物では無く

価値

1万円は何があっても1万円

だからお金に換算出来ることは誠実なのです

不誠実、不道徳、不明瞭の中に咲く花のように、僕らはそれを収穫する

さて、また来年も風が吹くから

その際にはきちんと種を蒔いておくようにね

さもなくばあなたはあなたの空白に食われてしまうことになる

あぁ、なんと悲しいことか

こんな無為な世界でこそ、あなたを探してみたかったのに

ねぇ

 

私にだけしか価値がわからないものなんて、この世界に存在したとしても、誰も評価してくれないなんて

そんな悲しいことあっていいはずがありませんことに

ありませんことに

ありません

ありません

ありません

あります

 

あなたに曲を書くというのはそういうこと

私しか知らない価値を

お求めやすい形で披露する

 

創作とは盛大なオナニーなのだと誰かが言った

さて、オナニーとは自慰

自分が気持ち良くなる為の行為

さて、それが商業と絡み合うのが芸術

自分以外の人間がそれを求めた瞬間にそれはもう、オナニーですらなくなる

他人に評価された瞬間に

自己満足は自己満足として存在し得なくなるのです

だからダメです

他人に愛される行為に自分の世界を直結させてはダメです

あまりにも快感

誰にも止められない

誰にも求められない

そんなのもう救えないわよ

さぁ、列車に乗りましょう

 

何?お金が足りない??

じゃあ、死ぬしかないね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

六月になりました

僕達の季節であります

さて、世界で一日のうちに何人死んだとか

何人生まれただとか、そういうの

一年は365日

世界の人口は2019年には約77億1500万人

人生80年と想定すると

平均的に仮定するとそれぞれの年齢に存在する数は

96437500

約9600万人とすると

365日にそれぞれ割り振ると

264212人がそれぞれの年代の1日毎に誕生日を迎える人だ

約26万人

人生80年とすると

約2000万人が今日誕生日だ

たくさんハッピーバースデー

でも、長い周期を辿ればいつか必ず

誰も生まれない日

誰も死なない日が来たっておかしくないわけだ

 

僕がどこにも存在しなくなる可能性だって、数字の上では存在してしまうわけだ

お前誰だよ

私は私だよ

 

 

駄文だぶんぶん

 

 

こんなの書いてる私は正常

いや、病気かもしれない

でも私が病気ならあなたも多分そう

わからないからこそ

きっとそう

 

 

 

そんな言葉をいくら並べても

全く意味もない

価値もない

誰も知らない

そんな日があってもいい

私が私だけが気持ちよくなれる場所も、救われる言葉も、愛している歌も

きっと誰にも明け渡さないからこそ

そこに存在していられることだってある

そう思う夜がある

誰のものでもない孤独も苦しみも

もしかしたら私にとっては

もっととっても大切なものかもしれない

一緒に生まれて一緒に死ぬんだ

それもまた良い

 

だからね、あなた、今この文章を読んだあなた

これをあなたの中でどう落とし込もうと構わない

それがあなただけの大切なものに変わったのなら

そのまま箱の中に閉じ込めておくのも

たまには良いかもしれない

 

 

 

いや、知らんけども

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨が降るよ

あめがふるよ

雨、止まないね。

もう少しだけ君を見ていたい

僕はね、もう十分間違えたから

もう、間違い探しはやめることにしたよ。

明日には変わってしまう誓いを

いつも今日に植え付けるんだよ

 

日々は小さな箱の中に

 

 

 

やぁ

 

5月は五月雨

たくさん降る雨のせいで

月が見えない日が多いことから

月不見月とも呼ぶらしいね

雨が全てを隠してくれたら良いのに

それでも空に月が、星が、闇が

お前はまだかと追い詰めてくるようで

昨日も今日も、そして明日も

代わり映えしない日々が過ぎ去ってゆく

 

皆さんいかがお過ごし?

 

 

 

 

 

 

 

 

例えば今急に私の精神が、肉体が、命が

消滅してしまったとしたら

 

そんな問い掛けを、おおよそ

教室に不審者が入って来たらどうする

という想像よりも多く考えたことが

ある人の方が多いと思う

 

死んだらどうする

というやつね

 

 

 

 

最近

人は死んだらどうなるか

ということを宗教や民族別に分けて書いてある本を読んだ。

とても面白い

死んだら地獄や天国や生まれ変わりだけじゃなく

隣の島や、裏の世界

はたまた、最初から居なかったことにされることもあるのだとか

生きるは無数に

しかし、死は平等に一つ

というわけにはいかないようです

死が普遍であることは理想論?

よくはわからないけれど

大丈夫

私もあなたもいずれ死ぬ

 

 

 

 

 

 

何故死について話しているか

簡潔に言うと

 

人間誰しも必ず死ぬのに

私、死について知らなさ過ぎる

ということをふと思って

本屋さんで死についての本を買い漁った

誰かが死について論じ

死についての情報を集めてくれているものが、たった数百円で買えるというのは、なんとも不可思議

けど、それでいいのよ

なんともなく

ただ、情報に価値を見出すことが出来る人が居るのかどうか

はたまた

その一見チープなものをどこまで有意義に扱えるか

人間って馬鹿みたいで、賢くて

何者だお前は

 

 

 

 

ねぇ、死んだらどうなるか

でもね、こう、買い漁った本の中に

まぁまだ読んでいないものももちろんあるのだけれど

もちろん『深居優治が死んだらどうなるか』を書いてある本はなかった

当たり前だけれど

だからこそ悲しいし、虚しい

深居優治を暮らしていくしかないのよね

 

 

それでね、何から話そうか

 

私が今ここでもしも死んだら

私にまつわる情報は、一体どのようにして他人に伝わるのだろう

 

親族とあまり良い関係を築けていない深居優治は、おそらく

身内の誰かが気を遣ってSNSや音楽関係者、過去の友人知人に訃報を伝える

なんてことは無いと断言出来る。

 

故に、深居優治がこの状況から

何かしら話題に上がるようになるのは、おそらくコロナ収束後

 

ライブ予定の日に連絡が付かず

それを不審に思った誰かが調べるときに初めて発覚するのだと思う

だからあと1ヶ月半は誰も知らずに過ごすのだろう

 

 

 

 

また、音楽関係者

全国の深居優治を知っている人が

その訃報を、全員が知ることは無い

人伝に、あぁ、あの人死んだみたいよ

という噂が広まるのが早いか

それとも、存在そのものを忘れ去られるのが早いか

そのレースなら、後者が圧勝するような気がする

それほどまでに人の存在は案外

人の人生にとって深く関わっていないのだ。

 

なんだか虚しい

 

 

 

 

 

 

とりあえず、死ぬ前に

誰か信頼できる人に楽器や機材は譲ろうと思う

好きにしてくれたらいい

売ってもいいし、使ってもいいし

捨ててもいい

 

ものはいつか朽ち果て消えていくから

それが消える頃までその人が憶えていてくれたら良いのになぁと

そんなことを考えながら

人との繋がりの脆さについて考える

 

 

 

 

 

 

人をあんまり信用していない

 

というと、穏やかではなくなってしまうし、どこかトゲがある。

 

信用していない

ということと

関わりたく無い

というのはイコールではないので

勘違いさせたくは無いし

 

『信用していない』

という言葉の中に『一切信用してない』という意味は含まれていたり、含まれていなかったりする

そう、人の心は曖昧で矛盾していて不潔で不純でそれでいて愛しいもので

 

例えば、〜しようぜ、〜の約束な

というようなものを一切許容できないかというとそうではないし、なんならそういうのをしたい時もある

けれど、心の底の方にある、基本的に他人には明け渡さない部分については、基本的には誰にも触れて欲しく無いのだ

そして、その誰にも触れて欲しくない部分を基準に物事を考える瞬間があり、そのときに『誰も信用してないおじさん』が強情を張るのだ

けれど、そのおじさん

愛した人には途端にその鍵を、扉を開け放ち、しっかり招き入れた後で

お茶さえも出してしまうことがある

その上で

誰も信用してない感も出してくるのだ

 

もう、パラドックスの渋滞よ

 

でも人間ってそんなもんさ

小さな箱の中に人間を入れて

この人間の本質を言い当てなさい

なんて言われてもだいたい無理よ

差し詰め

『矛盾』とでも答えれば如何にも適当である。

 

 

閑話休題

 

人と人との繋がりの話

私は基本的に人が好きなのだと思う

けれど、考え過ぎてしまう夜には

他人のことを一切合切

排除してしまいたくなる

それなのに人恋しい

誰か構ってくれないか

誰か触れてくれないか

誰か急に連絡をしてきて

電話なんてしてきて

朝陽が登るまで

なんの生産性もない話をひとしきりした後で

じゃあまた今度

飲みにでもいこうよって

そんな言葉をかけてくれる

素敵な女の子が居れば

私はたちまちその子のことが気になってしまうだろう

 

けれど、それもまた

その段階の中で『この人と朝まで電話していたい』と思える相手からの電話ではない限り

そのプロセスは踏まれないこととなる

 

 

結局私達は

自分たちが関わりたいかどうか

その人とどんな関係でありたいか

という部分を意識的にであれ無意識的にであれ

選別しているということはもう

自明の理である

 

だからね、ほんとはね

『死んだらどうなら』という問答にすら

その人それぞれのおおよその答えが出ている

この人に心配されたいこの人に忘れられないで欲しいこの人達には悲しまれない

 

そんなのを決め付けてしまうのは酷く悲しいことのように思うのだけれど

まぁ、だいたいそんなもん

 

 

 

けれど、その

安全牌のような予想を裏切ることが、時たま起こる

 

全然予想とは違うことが起こる

全然予想とは違う人と繋がる人生もあって

結局振り返ってみると自分のこれまでは

自分の意図しない方向にばかり転がって来ているのである。

 

 

 

 

小さな箱の中に自分を閉じ込めても

その箱を開けてみないことには

その中の自分が生きているのか死んでいるのか

これからどうなるのか

本当はどんな姿なのか

全くの五分五分

 

わからないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さな箱の中に閉じ込められて

もうすぐ一ヶ月

その箱から出たときに

世界は、自分は、あなたは、

どうなっているのだろうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は早く、あなたに逢いたい。