アオノコキュウキ

言葉を綴ります。あしからず。

僕は自分に失望する

思いがけず、良いことがあったり

無くしてしまったものが見つかったり

昔好きだった曲を思い出したら

そういうものは、日々の軽薄さから逃れる為に脳が用意した逃げ道のような気がする。

本当は全部わかっているくせに、極大解釈、曲解、居心地の良い水槽を自ら作り出してそこに身を落とす。

底に着く頃には本質は表層で凝り固まって、まるで、染みのようになる。

 

また、世界は私にだけ優しくて、その実残酷なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

音楽

というものの中に存在意義を

日々の軽薄さから逃れる為の意味を

見出してしまっていた僕は

結局それを剥ぎ取ってしまった時

初めて本質に触れる。

何一つ満足に出来ず、満たすことも満たされることも出来ない生き物の命が一つ

僕はそれに触れた瞬間に解る

不完全さや醜さや歪さ

それらに無理やり役割を与えていたに過ぎない

愛されるはずのない世界に戻ってきてしまって

今はただ日々を空費する。

 

 

日々の中に、24時間の中に、一週間の中に、自分を許せる瞬間があること

趣味、特技、家族、恋人、友人、その他幾つかの安らぎや、居場所

それらが日々の軽薄さを霞ませる

日々とは生活とは人生とは、本当はもっと苦悩や後悔に満ちている

けれど、『生き甲斐』や『安心感』を与えてくれる他の存在が、人間を延命させる、盲目にする

 

今の私の生活には労働と自己しかない

自分を許せる余白が、無い。

嫌でも実感させられる

無作為に、いや、むしろ作為的に

突き付けられる

自分の価値

これから先ずっと

崖しかない平坦な日常を歩くことでしか

私は生を全う出来ない。

 

絶望は命の危機を感じるような事柄や

心を削り取られるような痛みや苦しみから来るのではなく

ただぼんやりとした不安

あてもなく歩くことしか出来ないという事実

『空っぽ』の中にこそ潜んでいる

 

私はこれから先一体いつまで

この空っぽをやり過ごさなければならないのか

一体いつまで。

 

 

いつまで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気が狂うほどの同じ日々の繰り返しにkanpai