アオノコキュウキ

言葉を綴ります。あしからず。

私は空っぽを知っている

 

 

六畳ワンルーム

友達から貰った茶色の机の上に

昨日飲みかけたペットボトルに入った水

なんとなく今日飲むのは嫌なので

シンクに捨ててしまう

アレはそのまま、どこか遠くへ流れて

いつか海の一部になるのか

それが雨になって、降り注いで

或いは誰かの世界に紛れ込んで

世界を循環する

水の記憶

 

その後でペットボトル

空っぽのペットボトル

容れ物の中は空っぽ

空っぽ??

じゃあ風船の中身は空っぽ?

同じものが入っているのに

空っぽは形を変えないまま意味を変える

 

空のペットボトルの中身が『空っぽ』ならば

この部屋には『空っぽ』が

満ちているということになる

私の吸い込んだものも『空っぽ』

吐き出したものも『空っぽ』

 

私は空っぽを知っているはずなのに

その実、なんにもわからないまま

ただ、それを定義付けようとする

わからないということは

恐ろしいのでね

 

 

 

 

 

 

ペットボトルの空っぽと

空間との境界線があるとして

それがちょうど飲み口の部分で分かれているとして

私は咄嗟にその口の部分を塞いでしまいたくなる

空っぽが逃げ出さないように

空っぽがこの部屋に溢れ出てしまわないように

気付いた瞬間に

私は空っぽそのものになってしまった

あの、シンクに流れていった水になれたら

この空っぽに名前をつけることも

この空っぽに誰かを招き入れることも

無かったのかな

などと考える

過去の残光

もうあの部屋には戻れないや

7階角部屋703号室

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春が一瞬で夏のような気候に

お花見をすることもなく

季節に押し流されてしまうね

人間は19歳で

体感的に感じる一生のうちの半分を経験するのだという

つまり

昔よりも一年が早いなぁ

というアレ

あれは脳科学的に立証されていて

人生を80年だかと考えると

19歳で半分を終えているらしい

そこからの体感時間は

どんどん早くなる

早くなって早くなって

早くなった分その日々が

安っぽいものに成り下がってしまわないことを願う

出会う人の価値が変わってしまわないことを願う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

活動休止をして一ヶ月

変わったことと、変わらないこと

整理した幾つかのこと

これから先のこと

私はまだまだ

わたしを組み替えていかなければ

 

 

 

日々に囚われてしまった後で

それでも私が探しているのは

結局なんだろうね

 

 

 

 

nan da row ne