アオノコキュウキ

言葉を綴ります。あしからず。

アポリア

きちんとした生活

きちんとした人格

きちんとした人生

きちんとした全て

それらは一体誰の視点から語られ

誰の視点から排除され

また多方向からの同調圧力によって

ギリギリのバランスを保ちながら

そこに停滞する概念のようなものか

僕らは決してそれを具体的にはしない。

具体例を出せば

そこにいつまでも縛られてしまう

悠然と、虚像の中に夢を見るのだ。

 

どうだろう

最後にきちんと誰かを

大切だと思ったのはいつだろう

偶像的ではなく、空想的ではなく

確かに目の前に居る

触れられる誰か

そして、その誰かに対して

その大切さを盾に

何やら人としてあるまじき悪徳を

働いてはいやしないだろうか

そう

なんでもそう

君の、僕の、あなたの価値観が

誰かにとってそのまま伝わるわけではないし

あなたがもしも知らない街で生まれ

『愛している』という言葉を

『殺したい』と教わり

実際に死の恐怖を幾度となく味わった上でその『愛している』という言葉に畏怖の念を向けていたとしたら

誰かの好意は

きっと、あなたにとって好意としては伝わらないかもしれませんね。

それくらい曖昧なのです言葉は

価値観は

経験則は

アイマイミーマイン

 

中学卒業の際にクラスでとったアンケート

若かりし深居優治少年は

ダントツ一位

ヤクザになりそうな人第一位

このクラスで一番まともで真面目なのは自分だと思っていた彼も

もしかしたら自分だけ違う何かを教わってきていたのかもしれませんね

生徒会長をしていたのにあんまりです

まぁ、それでも

自分を間違いだとは思いませんが

 

 

 

 

ただ、ね

ほら、誰にだって一人くらいは居るでしょう

どんな形であれ

異性であれ同性であれ

それが愛だったかもしれないし

恐怖だったかもしれない

許せない相手かもしれないね

例えば音楽

 

この曲を聴いた時にその人のことが鮮明に蘇ってくるあの感覚

 

この香水、あの人が使っていた気がすると、雑貨屋でセンチメンタルな気持ちに触れたり

 

雨が降るたびに

誰かの酷い言葉を繰り返してしまったり

 

まぁ、そんなやつ

 

そういう誰かにとって

自分がどうしても、間違いではなかったと

肯定したもらいたくなる瞬間

あるでしょう?

ある??

わからない??

 

わからないなら仕方ないね

まだこの話は早かった

 

 

ただ、いつまで経っても忘れない人

それがあることが

迷いなのか救いなのか

考えてみるといい

 

そして、それが考えられる間はまだ大丈夫

 

 

ねぇ、どんな記憶も

いつか薄れて消えてしまうんだろうね

僕らはいつまでもここには居られない

 

ほら、窓の外が少しずつ

 

青の時間

 

光には色の波長があって

完璧な光は白なんだ

全ての色の波長が重なり合って、白になる

 

太陽が傾いて、光の波長に差が生じてくると、赤系の、オレンジのような光の波長だけがこちらに届くようになる

一日に二度

世界は橙に染まる。

世界はこんなにも簡単に一つの色に染まれるのかぁって、そんなこと考えたって一過性のものだっていうのにね。

わからないよね。

そんな話

 

 

 

 

 

 

光の話

今こうして文字を打っている間

世界は朝へと向かう

朝は夜と密接に関係している

二つは同時に存在できない

ならばその境界線はどこ?

どちらかがどちらかの一部かもしれないね。

ベースはどっち?

夜が死んで朝が来る?

眠らずに迎えた朝と、早起きした朝は別物??

 

ねぇ、あなたの話を聞かせてよ

 

 

 

 

 

さぁ、世界が色付くその瞬間

青の波長だけが世界を満たす

あのほんの一瞬の時間を

青の時間と呼ぶらしい

誰がつけたか知らないけれど

ブルースペクトラム

 

 

また、稀な現象として

夕焼けや朝焼けが一瞬だけ、緑色に変わる時があるんだ

グリーンフラッシュというらしい

もしくは

ハナミドリ

 

まだ見たことがないから

いつか、私と海へ行こう

手を繋いで海へ行こう

そこで悪夢が終わる

 

 

 

青の時間を過ごしながら

まだまだ湧き出る言葉と、それを本来どこへ向かわせたかったのか

それをひたすら脳内で反芻しながら

これでもかこれでもかと言葉を連ねている

 

こんなブログ

ここまで読む人なんてよっぽどの物好きか、私への負の感情に取り憑かれている異常者だろうな。

読んだらいいねでも押しておいてよ

笑っちゃうネ

 

 

 

 

 

数日間

ほとんど誰とも会っていない

会ったとすれば身内と

スーパーのレジ打ちのお姉さんくらい

 

『会う』という言葉に含まれている意味が、どこまでの異議を申し立てられるのかは知らないけれど

昔、とある女性に『逢瀬しましょう』と言われたことを思い出した

逢瀬ってあなた、意味わかって使ってるでしょう絶対。

 

 

逢瀬

仲睦まじい男女がひっそりと会う様

 

 

 

らしいですよ奥様

ねぇ、なんで私は

そのフラグを最大にへし折ったのかしら

一緒におにぎり食べて

手の平の海の話をして

おわり

 

 

やー

今も元気そうでよかったわよ

ほんと

 

 

 

 

 

会う

逢う

 

私はなんなら

人に逢いに行きたいな

まだまだ、逢いに行かなきゃならない人がたくさんいる

相手が私のことをもうどうでもいい

忘れてしまった

というのならそれは仕方ないのかもしれないけれど

ほら、万有引力は引き合う孤独の力だって谷川俊太郎も言ってるでしょ?

 

引き合うんだよ

僕らは

世界のどこに居たって

引き合うのさ

 

そんなこともわからないのなら

もう歌わないでおくれよ

そんな、安っぽい手垢まみれの言葉で

誰かを大切にしたいなんて

言わないでおくれよ

信じた方が馬鹿を見るなんて

もうやめにしようよ

今、私は過去の自分に最大に説教をしているところです

悪しからず

須く

ザク

 

 

 

赤いザクはシャア専用

 

 

 

 

 

 

 

 

悲しいことや虚しいこと

苦しいことをそのまま捉えると

より悲しく、より虚しく、より苦しくすることが出来てしまう

けれど、涙ながらに『悲しいんです!!!』と言われても

どこか白けてしまう

真実味がないわけではないんだけれど

そりゃあな、悲しそうに泣いてるんだから悲しいんだと思うんだけどさ、あんた

それをどう伝えるかってところにもっと命かけてよ

いや、自分をかけてよ

って思う

 

 

かの偉大な作詞家

松本隆さんはこう言ってた

『愛してるって目の前で言われても、嘘かもしれない。好きも愛してるも使わずにそれを伝えることが出来たら、歌詞になる。』

 

一言一句同じかどうかは怪しい

記憶の引き出しにしまってあったので

 

うん、これはね

私が歌詞を書く時に一番大切にしてる部分だと思う

愛してる愛してるって言っても愛は伝わらないのよ

好き好き言ってても相手は信じちゃくれないのよ

いや、それでも信じさせる事ができるような、ハンサムボーイに生まれていればよかったのだけれどね

 

私はそうじゃないから

 

 

言葉を扱うんだ

 

 

 

 

傘を失くして

立ち尽くす

出会えた行詰まりが

あなただっただけ、それだけ。

それだけのこと。

 

 

 

自分の歌詞に惚れ惚れするね。

想像してごらんよ

迷路のような日々の中で、もうこれ以上進めない、行き止まりだ

ってなった瞬間に

人は絶望するのよ

もう戻れない、進めない

ここでこのまま朽ち果てていくだけだ…ってね

 

日々を暮らしていて

長い長い迷路の中

これまで沢山の誰かと出会って

救われてきたでしょう

でも、ついに行詰まり(行き止まり)に出会ってしまった、それがあなただったんだ。

 

もうあなたより先には何もないんだ

これだけでも絶望なのに

それだけ。

って吐き捨てるように、諦めるように、けれどその諦めを受け入れているように

これを比較的明るい曲調で

突き抜けた空みたいな歌で歌ってご覧よ

 

もうね

 

何にもしたくなくなるからさ

 

 

 

雨降りのアポリアって曲

 

アポリアギリシャ語で行詰まり

 

 

 

 

 

僕らまた行き詰まり

家の外へも容易くは出られないこの時期

その先のことを想像して

目印を突き立てる

 

どれだけ愛しく思っても

どれだけ悲しく思っても

どれだけ虚しく思っても

それすらも忘れて薄れて

大丈夫になってしまうことが

なによりもかなしい

 

 

 

なによりもかなしい

 

 

それでも呼吸は続いて

また、朝が来て

私達を押し流すのでしょう

 

どんな心がそこにあったのかは

知らないけれど

 

自分のことをもっとよく見て

なんでこうなったのかって

考える時間が

あっても良いかもね

 

 

 

 

 

 

なーんてことを言い始めたらもう

歳よ

 

 

いやになるね

 

 

 

 

 

 

外はもうすっかり朝

 

さっきから嫌な音がする

 

そろそろ行かなきゃ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ノクティルカの探し物

 

 

ジリジリと熱い陽射しが地表を焼く。

僕は夏至という、日照時間が一年で一番長い日に生まれ、太陽から逃げるようにしてその限られた日陰で呼吸する術を獲得してきた。

しかしながら、太陽が殺人的な暑さを生む夏が苦手である。

溶けてしまう。

溶けて消えてしまう。

 

真冬にする、真夏の話。

 

 

太陽に照らされた世界での日陰の見つけ方。

それは相対的に見ること。

人間の目には生憎、温度を可視化する機能はついておらず、おおよそ

暗い場所を探す。

しかし、その視覚的差違を認識することができるのは、進化の賜物であろう。

僕らは今日も太陽に焼かれないように、手頃な日陰を探す。

日陰に入ってすぐは目が太陽の反射に焼かれている為、慣れるまでは真の暗闇のようにも思える。

 

少し目が慣れてくる。

本当は暗闇が持つ光を知っていたかのように、暗闇の中で慣れてくる。

同じように似通った日陰を求めた誰かを見つけたりする。

 

やぁ、君は誰だい?

 

同時に言葉を投げかけあっても

わかることは、わからないこと。

 

やぁ、君はどこから来たんだい?

 

やぁ、君はどこへ行くんだい?

 

 

そうして、乗り換え電車の隣の席で偶然居合わせたみたいな奇跡が時々起こる。

けれど、降りる駅は皆、違うのだ。

 

 

 

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暗闇の中で光を探す。

太陽が消えた世界で陽だまりの見つけ方。

それは、自分を疑うこと。

真の暗闇の中では、可視化できる光はそうは現れない。

強過ぎる光は暗闇さえ消してしまえるから。

 

手術の際に用いる照明を

無影灯と呼ぶらしい。

複雑に様々な角度から照らすその光達は、影の上から更に光を注ぎ込む。

僕らは逃げ場を無くして、隷属するのだ。

 

だから、壊してしまった。

 

 

 

 

 

海の底には何があるだろう。

空の向こう側には何があるだろう。

時折流らるる光を星と呼んだりして

僕らは生涯、それらを捕らえることはできない。

だから、深く潜るのだ。

どこか、無理矢理ではなく、深海のような場所を優しく照らしてくれるような、陽だまりを探して。

 

一体どれくらいの時間ここで過ごしたのだろう。

一体どれくらいの深さを潜ったのだろう。

他人と、世界と比較してみたところで、それらは結果的には何にも表してくれないことがわかった。

だから、潜るのだ。

暗闇の中で、ひかりをさがしている。

 

 

 

 

 

 

音がしたような気がした。

姿は見えない。

音がするわけもなく。

染まる、温度があった。

 

私の心底の震えが手の先、足の先に伝わる度に青白くひかるのだ。

生命の絶命する瞬間に、線虫の細胞は青白く発光すると聞く。

それらも自らの生命の危機を感じ、自らを青く発光させていた。

 

ノクティルカだ。

 

 

 

 

 

 

海洋性プランクトンが上か、下か、右か、左かもわからないまま、私の世界を青白く明滅させる。

それはほんの一瞬光って消える。

音のない花火のようだ。

 

僕が探していたものは、こんなものではないのかもしれない。

けれど、それは、繰り返す潜水の先に出会ったそれは、探し物に成り代わることもあるのだということ証明することにも繋がった。

 

しかしそれは永遠に探し物になり続けることは出来ない。

偽物は、一瞬だけ

一瞬だけ私を救った。

 

また、次を探さなければ。

 

心がその光に慣れてしまう前に、僕はまた深く息を吸い込んで、海底を目指した。

 

 

 

 

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探し物はなんだろう。

探しているのは何故だろう。

探しているのは誰だろう。

 

深海、と、宇宙、とは

同じだけ未知が存在するという。

私が漂い生きるこの世界には、知識や経験、情報では覆い尽くせないものがある。

それらを知り続けていけば、何も怖くなくなると思っていたのだが

まさか、永遠にも思える時間の中で、そもそも怖さという感情さえよくわからなくなるとは思わなかった。

 

ここはなんでもない深海。

 

 

私は宇宙を知らない。

また、私は深海を知らない。知れば知るほど知らないことの方が多いことを知らされ、結局わからないまま、それらは放棄され、忘れられてしまう。

私は一定どれくらいの時間ここに漂っているのだろう。

 

 

深海、と、宇宙、と

心というものの未知は底が知れない。

どれもがどれもに成り代わるほどの謎

僕らは遠い進化と退化の過程の中で心も、脳みそも置いてきてしまったが、僕らも、或いは僕ら以外も等しく、誰にも触らない、不可侵な領域を隠し持っているということなのだろう。

それが堪らなく愛しくて、尊い

堪らなく恐ろしく、儚い。

 

そんな感覚さえも、海に溶けていくような気がした。

もう、死期が近い。

 

 

 

いつの間にか光さえも届かない場所へ降りてきてしまった。

ここには光がない。

 

少し前まではあんこうの提灯があったような気がしたが、誰かがそれを求め食われてしまう姿を見聞きし、誰もその光を求めなくなった。

それから次第にその光さえも息絶えてしまった。

 

こうして少しずつ様々な仕組みが崩壊して、そしてまた新しい何かを生むのだろう。

 

故にこの身の崩壊にも意味がある。

私が消え、何かに変換される時、私はまた新しい世界へ行く。

そう思う。

思う脳みそもないけれど。

それで良いのだ。

 

 

 

 

 

 

波の揺らぎを感じた。

私に触れる何か。

 

何かはもがいているようで、諦めているようで、しかし、私はこれを知っている。

彼が私に触れて初めて

私が青く光ることを知った。

この世界には私と、私以外が確かに存在していたのだ。

 

私は初めて、私の心の在処を見た。

私の姿を見た。

他人の姿を見た。

 

 

暗闇という言葉さえなくなるくらい長く暗闇に居たせいで、忘れていた。

私の世界は誰かの介入で容易く壊れ、そして、動き始めた。

 

消えてしまった誰かを

私はずっと待っている。

消えてしまった誰かを

私はずっと探している。

 

もう、気付いてしまったから。

探し物は、私だ。

私と私を含む世界と私以外と

それらが幾重にも折り重なって紡がれるものを、私はひかりと呼ぼう。

そして、それらを探し続けよう。

 

ここが何処だろうと構わない。

わたしが誰だろうと

構わない。

 

 

 

 

 

 

 

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パタン

本を閉じて窓の外を眺める。

さっきまで降っていた雨が嘘のように、雲ひとつない。

今日はどうやら満月らしい。

 

白くまんまるの虹が空を押し広げているように見える。

 

僕は光を見つけた。

 

あなたの持っている光とは違うかも知れないけれど。

明日はどんな物語を読もうか。

そしたらそれをあなたに話そうか。

この悪夢が覚めた後で

あなたが確かに存在していたら

私の思い過ごしではなかったら

雨の止まない世界で、一緒に呼吸しよう。

 

え?

 

あぁ、

 

 

 

 

 

 

 

『雨、止まないね。』

 

 

 

何から話そうか、

 

何を終着点とするか

ゴール、終着点、ピリオド

そういう類の、まぁ個人差というか認識の違いがあるかもわからないけれど、どこまで行けば良いのか、という目安だね。

 

例えば勉強

大学合格がゴールなのか、その後の就職に至るまでがゴールなのか、それとも死ぬまで学ぶのか。

 

例えば料理

その日作ることが目的なのか、料理人になることが目標なのか、誰かを喜ばせることがしたいのか。

 

 

そのようなものとして

例えば音楽

メジャーデビュー?憧れのバンドと対バン?大きな場所でワンマン?

CDデビュー?タワレコデビュー?

音楽で生活が出来たら目的達成?

 

まぁ、様々あるでしょう。

大学の学祭で演奏してモテたら大成功ってのもあって良いと思う。

 

 

私は

私はね

自分を救う為に音楽をやっている。

 

 

救うってとても漠然としていて

それならば『救う』って何よって思うし、思われると思う。

自分を救う音楽。

どこまでいけば救われるのか

何を為せば救われるのか

誰に聴いて貰えば

誰に届けば

誰に肯定されれば

どれだけの人に愛されれば

報われるのか、救われるのか

どんな曲をかけたら

どんな歌が与えたら

どんなライブが出来たら

 

って考えているうちに

あぁこれは、答えの出ない問い掛けを一生繰り返す無限ループに入ってしまう

と考えて考え方を変えた

 

 

救うというのは、具体的な一つの事象ではなく

断続的に起こり続ける現象なのだと思う。

朝起きて、外に出たいと思える音楽がそこにあれば救い

誰かの中に居て、その中で感じる孤独に寄り添える音楽を見つけたら救い

夜眠る前に、このまま生きたいと思えたら、誰かに会いたいと思えたら、誰かに話したいと思えたら、そしてその誰かと生きていきたいと思えたら

そんな音楽に出会えたら、救い

そんな風にして、日々代わる代わる訪れる不安と孤独からすくい上げてくれる、寄り添ってくれる、考えを変えてくれるそんな音楽が、あるタイミングで出現する。

それからある一定期間、もしくは一生、その人の宝物になる。

そんな風にして人々は日々変わり続ける救いを求め続けて、そして救われ続けていく。

または、救われないことを嘆き、また救いを求める。

 

 

そう考えたときに、もしかしたら

これは生きている間中私は自分を救う音楽を作り続けなければいけないのでは無いか?と思ったの。

 

うん、多分そう。

 

そうすると、簡単な話なんだけど

生きてる間中、苦しみは続くし、孤独は続くのよね。

だからそいつらともうまく折り合いをつけながら生きていかなければならないわけだ。

 

あれ?死んだほうが良い?

って今思ったでしょう。

 

まぁ、焦りなさんな、人間いつかは死ぬ。

今例えば死んだとして、多分、後悔の方が強いし、霊的なものが存在するなら確実に

この世に未練を残して成仏出来ない何か

になる自信がある。

なると思う。

黒髪ショートカットの女の子ばかりに取り憑く悪質な奴になると思う。

それは避けねばならぬ。

 

 

閑話休題

 

つまり、だ

私たちは、おそらく

どうでも良い、無意味な、むしろ損な死に方を望んではいない。

たまに死にたい人が居るけれど

あれは、生きていることと死ぬことを天秤にかけた上で、死ぬことの方がマシだという結論を出した人の場合が多いと思う。

死んだことないのに、わからない方にベットするのは、とても怖いと思う。

これはあくまで私の感性

 

死にたい、ではなく

逃げたい、なんだよね。きっと。

もしくは、消えたい。

なかったことにしたい。

居ない方がいい。

 

そう思う前に誰かに相談してみても良いかもね。

当てがなければ私でも良い。

まぁ、死ぬな。

 

 

話を戻すよー

 

 

あのね、救う為にはどうするか

自分をね。

 

自分を救うための音楽を、どういうポイントで終わらせるか。

つまり、何を持って救われた

とするか。

終着点、これを成してこうなれば救われた!!

 

となるのは

おそらく、『より良い死』なのよ。

 

あれれ、さっきまで死ぬなって言ってたのに死に方の話?

そう、死に方の話。

 

人間いつかは死ぬ。

だからこそ、あーもう今死んでも構わないなぁ、悔いないなぁ

ってなったときに、私の願いは成就すると確信した。

 

おそらく。

救う為の音楽を続けて、それらが認められて、私が生きてきたことにきちんと価値がついて、折り合いがついて、報いることが出来たならば、私の音楽は完成する、と思う。

 

が、しかし、

まだまだ先は長そうだぞー

まだまだ、やりたいこと、言いたいこと

歌いたいこと

山ほどある

それを成す為にはより良い深居優治になるしかないのだ。

やるしかないのだ。

 

こんな与太話をね

久しぶりのブログで書き連ねて

文字カウントされてるんだけれど、もうすぐ2000字。

わお。

昔から文章を構築したりするのが好きだった。

音楽する前は物書きにもなりたかったのよ、ほんとうよ。

 

才能はないのだけれどね

 

他人から認められることと、自分のやりたいことは、好きなことは違う。

恋愛も多分そう。

けれど、それがうまく噛み合ったとき、とっても素敵ね。

やりたいこと、好きなことで認められたら、好きな人にそれが認められて受け入れられたら。

 

うん、でもそれは、夢物語じゃないから

やったらやった分だけ近付くし

納得させたら良いのよ

それだけのことをしなければならないけれどね。

 

まぁ今日はそんな感じです。

次は何を話そうかな。

また、何か長文を書きたくなるような題材が思い浮かんだら、このような感じでブログをしたためますので、何卒、よろしくお願いします。

 

最後まで読んでくれてありがとうね。

よかったら、これのリンクが貼ってあるツイートをいいねしておいて。

読んだよーって気持ちで。

それが励みになります。

 

じゃあ、さよなら。

 

吸って吐いてを繰り返す機械ならよかったなぁ。

どうもお久しぶりです。

ブログ優治です。

今年初めてのブログ投稿ということで、何から話そうかな。

みんな読んだらいいね押してね。励みになります。

 

 

 

さて、2019年も二ヶ月が過ぎようとしておりますが、皆さんの近況はどうでしょうか。

もうすぐ新年度が始まるわけで

就職や進学、その他大きな変化を迎えるいいタイミングであります。

何かを変えて

何かを壊して

何か、別のところは向かうにはいいタイミングですね。

 

私は相変わらず私のまま

私の中に停滞している孤独であったり、苦しみであったり、そういう言語化に適さないものたちをどう処理したら良いか

ということに考えを巡らせているところです。

 

気付けば車窓の外はすっかりと、夜が飲み込んでしまった後でした。

 

 

 

 

 

 

人間として生まれた以上

何かのコミュニティや仕組みの中に組み込まれていないと、おおよそ生きていけない。

それはおそらく誰しもが知っているか、経験則で解っていることだと思います。

私も例に漏れず、人の中で生きているわけですが、どうにもそれが

向いていないのだと感じるのです。

え、あなたも?

なんだ、仲間じゃないですか。

 

友人関係もそう、恋愛関係もそう、仕事での関係もそう、家族の関係もそう。

それらをうまく継続させる能力のようなものが欠如していて、いつの間にか破断、淘汰されていることもしばしば。

元恋人が多い人間がすごいわけではなくて、それは単純に

『関係が壊れた他人が多い』ということです。

自分で言っていて耳が痛い。

果たして私は幸せになれるのかって、他力に頼ろうとしているところがもうだめ。

私は私を救い出せるだろうか、私は変われるだろうか、私は誰かを笑顔にできるだろうか、答えはいつだって黒い靄の中。

おーい、そっちは向かっても大丈夫なのかー

 

 

 

 

 

 

しらないよー

 

 

 

 

 

 

 

はい、というわけでね

音楽の話でもしようか。

私、辛うじて音楽を続けておりますが、みんな、なんだか素敵な人達ばかりです。

私なんてって思うこともしばしば。

評価されない、理解されない、愛してもらえない、そんな音楽をやっている気がするし、そもそもそれは音楽ではなくて、私そのもののような気もする。

だからね、それを改変して人に寄せていくのは私には難しいことなのですよ。

でもね、私が素敵だなと思ったものたちが評価されたり、愛されているところを見ると嬉しくなりますね。

 

3月も自主企画がたくさん

3/10 広島Cave-Beで

大阪のハイファイコーヒーズ

和歌山SEGARE

京都艶やかなプティ

 

3/12 福岡御縁屋二階店

深居優治
熊本のakari☽
福岡の深原ぽたさんと篠原凜太郎くん

 

3/26 広島ヲルガン座

大野翔平(東京)
ayano.(大阪)
谷川真衣

にーご(僻人)

 

4月は19.20と東京のノクターンのレコ発ツアー広島編と大阪編

深居優治、ノクターン、Shikiの三組で二日間ライブをします。

広島編には屑星、カナタ、School Meets Geek

大阪編には三重のkasa.

 

なんだかもう楽しみやん。

楽しみをかき集めてかき集めていかないと

日々は全く楽しくないんだもの。

それらの予定が消化されてしまった後で、私は何が残るのだろうね。

 

 

 

 

 

 

 

息を吸って吐いて

それだけでも難しい日々は

私にとって痛みを伴うものでした。

心を殺して機械のように生きることができればって

誰しも考えることだと思うの。

それでもね、私は

誰かを愛していたいし、その誰かに愛されていたいなって思うのです。

全然うまくいかなくて笑えてくるけれどね。

 

さぁ、もうすぐ夜が深くなって

心の中に住むバケモノが

あなたを壊しにくるかもしれない。

あたたかくして、早く眠るのよ。

 

まるで、悪夢みたいだと思った。

 

こんばんは、熊本からこんばんは。

 

今年最後のライブが終わり

いつも通りShikiのギタリスト前ちゃん(通称・嫁)の家に帰り着き、ほぼ眠る準備を終えてこれを書いています。

皆さんはいかがお過ごし?

 

 

 

今年最後のライブが熊本

広島在住でありながら、県外を常に行脚する深居優治にとって、熊本はとても居心地が良いのです。

街並みや人の感じが

なんとなく広島に似ているからだろうなぁと勝手に思ってます。

あとは純粋に、仲良しな人間が多いから、かなぁ。

いつもお世話になってます。

 

 

沢山ライブで来たけれど、また来年も、ね。

よろしくお願いします。

次の熊本ライブは2/13、バレンタインの前日ですね。みんな来てね。

 

 

 

 

 

 

夢を見る

という話で、まず何を思い浮かべるのかはまぁ、人それぞれだと思う。

夢って一言で言った

毎日見るものでもあるし、いつか叶えたい理想のことでもある。

夢、夢、ゆめ、ユメ

人の夢は儚いとはよく言ったもので

それでも夢心地の中に居たいのは人たる所以なのかもしれない。

 

 

けれどもね、わたしはよく夢を題材にもするのだけれどもね

まるで悪夢みたいだなぁと思う瞬間があるの。

例えばね、人との関わり。

どんな関係の中にもそれがもしかしたら夢なのかもしれないと思うときはあって、関わりだけではなくなんでもなのだけれど、夢なのかもって。

そして、夢から覚めたらどうなってしまうんだろうって怖くなる。

その中でも、息苦しいような、もどかしいような、どうにもならないようなそんな日々を悪夢と捉えることがある。

 

悪夢ならすぐに覚めてくれたら良いのにね、たまにね

あぁ、この人と同じ夢の中に居たいなって思う時もあって

そんな時にこの人と一緒なら

例えこれが悪夢でも構わない

なんて歯の浮くような台詞を並べることもある。それをロマンチック捉えるか、何言ってるのかわからないと言われるのかは本当に、人それぞれだから、わからない人はこのブログを閉じた方が良い。

賢明な判断を。

 

 

 

 

 

 

夢、夢

僕らはいつから夢を見ているのだろう。

そしていつから夢を見なくなるのだろう。

夢とはなんだろう。

海馬くん。

 

たまに見る悪夢の話はまた今度しようかな。

兎にも角にも

私は眠らなければならない。

けれどもね、眠ってしまえば今日が終わってしまう。日付が変わってしまったとしても、眠るまでは今日なのだ。

 

だからこそね、眠りの世界なら取り込まれてしまう前にしておきたいこと、確認したいこと、理解したいことが沢山あるのに、なかなかうまくいかないものね。

 

 

朝がノックする度に

誰かの中の僕が一人消える

思考は苦しみか、その逆か

そしてまた0になる。

 

この歌詞を書いたのが多分、20歳とか21歳とかの頃

まだまだ若かったと思うのだけれど、全然言いたいこと考え、思想、思いはブレないのだなぁと思った。

 

 

私は今日も誰かの中に

出来ればあなたの中に存在していたいなと思ったよ。

 

雨、止まないね。

 

みんな良い年越しをするのだよ、最近

ブログ書きたい欲が出て来てこうして吐き出してはいるのだけれど

なんというか、ブログ読んでよかったらいいねとか、感想もツイートしてもらえたりすると少し嬉しい。

自己顕示欲絶対満たしたいマン

 

また、どこかで会いましょう

 

アレクサ、おやすみ。

言葉では泳げない距離と人の間を泳ぐ言葉

 

 

夜が知らないうちに朝を連れてくる。

 

日々の空想は人の隙間に入り込み

また、人の隙間を生み出してしまう。

 

何も考えなくても良い世界があれば

それは素敵だろうか。

何か考えているうちは

私は確かに人間だろうか。

 

 

 

 

 

人は日々に目的意識を持ち

それに向かって何やら努力や試行錯誤

失敗や成功をそれぞれ受け取ったあとで

またその目的へと向かってゆく。

 

その『行動している感』に生き甲斐や

達成感を得ながら

何もしていない側の人間を見ながら

『あいつらは何も行動しない』

だとか

『指示待ち人間』などと揶揄するのだ。

よくある光景。

 

 

事実、何もしていないのだから

どれだけ崇高なことを考えていようが

機を狙っていても

何もしていないと言われても同じことである。

行動に起因する失敗があることも確かにそうだが、失敗にも意味がある派や当たって砕けろ派の介入によって

いつの間にか何もしていない側は

悪として捉えられてしまう。

 

それは実はとても怖いこと。

人間は追い詰められた時に能力を発揮できる者だけではないのだから、追い詰められて何も出来なくなってしまっては意味がない。

ましてや、タイミングを間違えればそれはもう行き詰まり。

何もかも終わってしまう。

 

 

 

 

 

 

君を待つ、という曲があって

その曲は、ただただ君という存在を待っている、という曲。

様々な意味を込めてはいるが、深居優治の曲は基本的にスルメ曲であり、かつ

本意に辿り着ける人は少ない、と思う。

難解にしているのは私の生き方がそもそも難解だからなのであろうか。わからん。

その辺はわからん。

 

 

ただ、意味を汲み取って、すり合わせた時に、あぁそういう意味だったのね、とか

わかるーってなってもらえると嬉しいし、わかるーってなられるとすこしムカつく時もある。

まぁ、人による。としか。

 

 

 

 

 

君を待つ

 

知らないところで目が覚めて

この容れ物を自分と呼んで

知らないところへ消えてゆく

どこにも私なんて居ないのかもしれない。

それでも君を待つ。

 

 

 

そう、それでも君を待つのである。

自分が何者なのかもわからない、どこから来てどこへ消えてゆくのかという人類の永遠の問い掛けを繰り返しながら、それでも君を待っている。

何もせずただただ待っている。

これだけ聞いたらほんと

何もせず待つことしかできないのかー!ってなりそうなものだけれど

 

そうではなくて

その次の歌詞

 

 

君を待っていた。

君を待つその間

僕は僕として暮らしていた、息をしていた。

 

 

そう、待つってことに何の労力もかけない人なんてほとんど居ないんじゃないかなって思ったのです。

だって、ただ何もせずに待つってなかなか心労、心が参ってしまう。

じゃあ行動しろよって?

いやいや、大人しく待つところに愛があったりもするのよ。ほんとに。

 

待つってことにはそれなりに責任があると思っていて、

まず、待ち続ける間その人はその人で居続けないといけないわけで

変わってしまうのならば無責任に待つなんて言えないわけで

ましてや死なないわけで

待つってとても大変。

気持ちも変わるかもしれないし?

明日には消えてしまうかもしれないのに?

 

待つのよ。

素直にそこに座って待ってるの、あなたの椅子を守りながら。

 

そう考えたらなんだか待つって行為にもちゃんと意味があるんだよって言ってあげたくなる。

でもね、待つばっかりで何もかも失くしてしまうこともあるよねってのが

その続きの歌詞

 

でも、でも

気付くのはいつも、いつも

失くした後で壊した後で

どうして忘れた後でしか思い出せないの?

思い出せないの?

思い出せないの、思い出せないの、思い出せないよ、もう。

 

 

そうやってどんな風に待ってたのか、どんな風に愛していたのか、どんな風な自分だったのか、わからなくなるくらい待ってるのはもう、苦しみよね。

 

私はあなたを待っていたはずなのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

知らない間に失くして

知らない間に壊して

知らない間に忘れて

忘れてたことに気付いてしまうのは嫌なので

もし誰かを待たせているならそっと連絡くらいしてあげなさい。

腐る前に終わらせなければならないことは口に出しなさい。

ね、

 

 

 

 

 

 

今日はそんな話

そんな私

人に助けられて生きてる

打ち上げが終わって、カルピスしか飲んでないのにやっぱりまだ身体は元気じゃなくて、吐きそう、ってか吐いた

明日は朝一で熊本に向かうよ。

今年最後のライブだ

ねぇ。

 

わたし、あなたと話がしたい。

あなたの言葉で、あなたの話が聞きたいのよ。

 

いつまでも待つよ。

 

 

間延びした風景に

間延びした風景に

僕は君を見た。

間延びした風景の中で

君だけは静止画のようだった。

間延びした風景に

僕は僕を見つけられなかった。

僕は風景になりたかった。

思い出した時に美しいと思えるものが風景だった。

 

僕は僕をひとしきり侮蔑した後で

ひっそりと名前を呼んでみたんだ。

僕だけが知っている僕の字名。

君にだけは教えてあげようとしたんだ。

けれど君の世界に窓が無かったから

僕はそれを投げ入れることすら出来なかった。

君は相変わらず無機質な瞼をカチカチささて世界を見ているフリをする。

君は相変わらずどこにもない心臓を在るように振舞って

『私には心がある』なんて絵空事を描く。

 

僕は随分前から君を壊してしまいたかった。

だって、そんなの卑怯じゃないか。

間延びした風景に

間延びしない君が居るなんて。

間延びした風景の中で

君も自然と間延びするべきだったし

風化したそれらを見つめながら

僕だけが時間の経過を感じる。

間延びした二人言葉が

いつまで経っても触れ合わないように

間延びしたあの日の夕焼けが

いつまでも落ち掛けたままであるように

間延びした僕の日々が

それでも素晴らしいものだと思えるように

間延びした、今日まで間延びさせた僕らの生が

間違いではなかったと思えるように。

 

 

 

 

 

 

今日は福岡へ向かっています。

雨の影響で止まっている電車のダイヤ

代わりにバス出ているようです。

僕はのんびりとバスに揺られて

福岡に置いて来たエフェクターボードのことを考える。

帰り道は持っていかなくてはならないから、気が重い。

 

福岡へ行って

明日は大阪へ移動

京都と大阪でライブをした後

1日だけ東京でライブ

友達のCD発売イベントでお歌を歌うの。素敵でしょ?

そこからまた大阪へ帰って

その後愛知県へ。

お家へ帰るのは一週間か後

 

長らくね、旅をしているみたい。

もうずーっと旅をしているみたい。

何を探しているのか

どこを目指しているのか

どうすればその旅が終わるのか

何もわからない。

ただ、そういう精神修行のように

いろんな場所へ電車で、または歩いて行く。

何か、どこかで失ってしまったものを拾い集めようとしているかのようで

気味が悪い。いや、君が悪い。

 

僕の言葉は今日も間延びして行くから

ライブに来ておくれよ。